11月4日(日) 安堵町文化講演会&小説「大和維新」トークセッションを開催致しました。

2018年12月21日


平成30年11月2日(金)~4日(日)、トーク安堵カルチャーセンターにて「第32回安堵町文化祭」が開催され、最終日の4日(日)には、当公益社団法人等の後援による『安堵町文化講演会&小説「大和維新」トークセッション』が行われました。
 第1部では、帝塚山大学文学部の西山厚先生による文化講演会「法隆寺と聖徳太子」が開催されました。
西山先生は、まず、法隆寺が建立以降、伽藍(本堂、五重塔、中門)の建立方式を変えながら建立場所を変遷させてきたことスライドを使ってわかりやすく説明されました。次に、法隆寺と聖徳太子にまつわる「7つの謎」を紹介し、それぞれの「謎」に丁寧な解説を加えながら「謎解き」をしていただきました。最後に、聖徳太子が定めた17条憲法の中には今にも通じる大切な教えがあることを力説され、講演を締め括られました。 

 引き続き、第2部では、歴史小説家の植松三十里先生、公益財団法人郡山城史跡・柳沢文庫保存会研究員の吉田栄治郎先生をパネリストに、トークセッションが行なわれ、コーディネータを当公益社団法人川井徳子が務めました。
植松先生は、今回の安堵町明治150年記念プロジェクトに合わせて出版された今村勤三を主人公とする歴史小説「大和維新」の著者です。トークセッションでは、まず「大和維新」執筆の動機についてお話しされ、激動の明治期に大和の歴史を大きく動かしてきた人物であるにもかかわらず一般にはあまり知られていない今村勤三にスポットを当てたかったという当時の思いを語られました。そして、大和の人は概して穏やではあるが今村勤三のように情熱的な人も多い、これが大和の誇りであるとのエールをくださいました。
一方、吉田先生は、奈良盆地の各支流が大和川へと合流する場所に位置する安堵町が古くから交易の要所として繁栄してきたことを紹介し、古代から近代に至る安堵町と大和川との密接な関係についてお話しされました。続いて、近代日本形成の方向性に関する今村勤三の立ち位置を解説した後、勤三は安堵町や奈良県を舞台に様々な事業を展開してきたが、もし日本全体を舞台にしたとしても間違いなく大活躍したであろう人物だと評価されました。
トークセッションの締めくくりとして、吉田先生は、今、勤三が生きていれば、豊かなと強さが融合した国を目指しその先頭に立っていくであろうとお話しされ、教育こそが国の根幹を強くする、第2の今村勤三を輩出できるか否かは教育にかかっている、と力説されました。引き続いて、植松氏先生は、明治以降日本は中央集権化への道を歩んできたが、これからは地方の時代になっていく予感がする、だから地方の人々は是非誇りを持ってほしいとお話しされました。そして、安堵町の創生に向けては、法隆寺と連携した旅行商品や富本グッズの開発を提案され、第2の冨本憲吉待望論で締め括られました。
当日は、遠方の方含め300人を超える方が参加され、文化講演会、トークセッションとも、大盛況のうちに終えることができました。